幻なんて泣かないで

はしもとくんを目当てに行ったデストラップが本当におもしろかった。
ほとんど大千穐楽に近い日に見てしまったので、日をあけてもう一度見るとかそういうことができなくて、だけど観劇してもうすぐ1週間経つけどまだ舞台のことを考えてしまっているから、たぶんそれだけおもしろかったんだと思う。1回しか見ていないから、見逃している伏線とか聞き逃しているセリフとかもたぶんあって、だから大層な考察ブログとかは書けないけど、おもしろかったという気持ちは残しておきたいなあって。以下ダラダラ語りながらネタバレも盛大にするから本当に気をつけてください。まあ千穐楽も終わってしまったのでアレですが。

はしもとくんがクリフォードのことをどんな風に考えてどんな意図でああいうクリフォードを導き出したのか、そのあたりを教えてほしいなあ~~~~っていうのを観劇後ずっと考えている。ネタバレは見ない方が絶対いい!っていう先人たちの教えを忠実に守って、見た人の感想とか考察とか雑誌のレポとか一切目に入れずに見に行ったから、もしかしたらもうすでにどこかで話されてたのかもしれないけど……でも、教えを守ってネタバレを見ずにこの舞台を見られたのは本当によかったと思っています。
クリフォードは尊敬する大好きな劇作家に見染められてウキウキしてシドニーのお宅を訪問するわけで、ずっと大好きだった人の家に招かれたのだからはしゃぐだろうと思ったというようなところまではパンフの中ではしもとくん自身が言っていたけど、天真爛漫で才能もあって愛くるしい青年はどこまでが本当だったんだろう。どこまでが本当のクリフォードだったのかなあ。シドニーと共謀してマイラの殺人に成功するという最高の一幕を完成させて、それを受ける二幕をどうしたらいいのか。それをシドニーと共作することで補ってもらいたかったクリフォード。確か二幕の最後の方で「シドニーのおかげで最高の二幕ができた。さすがシドニー」というようなことを言うのだけれど、それが本音だったのか(それをゴールとして今までシドニーと暮らしてきたのか)それとも苦し紛れの強がりだったのか。その辺りがどっちなんだろうなあということをずっとぼんやり考えていて。
ああ、でも。最後の最後に自身に刺さったボウガンの矢を抜いてシドニーに襲い掛かるクリフォードは確かに怖かったけれど、すごく切なくて悲しいような表情にも見えて、やっぱりシドニーのことが好きだったんだろうなあ。好きだった、といえば、クリフォードがゲイっていう設定いる???原作とか他の映画とか舞台とかでは演出上必要だったのかもしれないけど、今回のデストラップでは別にその設定不要では??別に性的な描写もないし(肩を抱くくらいはあった気がするけど)単に恩師を慕う忠実な弟子というだけでも大丈夫な気がするんだけどな~~~~っていうのも気になっていた。気になる、と言えば、設定では物語の最初の方でクリフォードを駅まで迎えに行ったシドニーがそこでマイラの殺人計画を説明したっていうものだったと思うけど、どんなに慕ってる恩師でも久しぶりに会っていきなりそんな話されても計画に乗らなくない???とも思った…その辺でゲイの設定が生きるのだろうか…愛は万物をも越える的な。

二幕のほぼラスト、シドニーにボウガンで撃たれてそのままヨロヨロと階段を降りてきたクリフォードは、とうとう力尽きてソファに倒れる。シドニーがそれを正当防衛だと主張する電話を警察にかけ助けを乞うていると、息絶えたと思っていたクリフォードがむくりと起き上がって自分に刺さった矢を抜いてシドニーを襲う。その、クリフォードが起き上がったあたりで声にならない悲鳴というか、「ヒイッ」みたいな声が周りから漏れたんですよね。あ~~~~はしもとくんの勝ちだなって思った。勝ち負けっていうと下品な表現だし、脚本自体のすごさもあるからまああんまりいい表現じゃないとは思うんだけど、前半ずっと天真爛漫で気のいい青年だったから尚更怖かったわけでこれはそこまでのはしもとくんの演技の結果だと思っていいと思うんですよね。わたしも見ながらぞわっとしたし鳥肌が立った。だけどその顔を見ると怒り以外の感情も読み取れてしまうから悲しかった。悲しくて切なくて苦しくて、ああこんな顔もできるんだってうれしかった。なんだか思い出してみると観客として純粋に舞台を楽しむ自分と、キャスト橋本良亮のファンのはし婆の人格が混ざり合いながら見ていたんだな…(笑)「最終的に狂ってしまう」というと、去年やっていたコインロッカー・ベイビーズのハシと同じだと思ってしまうんだけど、当然ハシとクリフォードは別の人間で別の狂気だった。こういった負の感情は演じやすいみたいな話をどこかで聞いたことがあるけれど、でもそれがワンパターンでないことがすごくうれしかったし、はしもとくんはすごいなあとしみじみしてしまった。表情といえば、シドニーに銃を向けられた時のクリフォードの表情もすごくよかったんだよ~~~~悲しみとか絶望でぐっちゃぐちゃになった顔をしていた。でも、よく考えると、クリフォードは自分ですり替えたのだからその銃が偽物であると知っているはずで、撃たれても死にはしないと分かっているはずなんだよね。だけど、撃たれても自分の体は死なないけれど、クリフォードとシドニーの関係は死んでしまうことに絶望して抵抗したのだろうか。それならばやはりゲイ設定はいるの…か???

それにしても、話がおもしろいだけじゃなくて、好きな男が手錠を弄りまわしたりタイプライター打ったする姿を見られるからめちゃくちゃコスパがいいぞ…なんてことも思った。ああ、男の人の手だなあって。それから、あれだけ舞台上でクリフォードだったのにカテコでスンッ…と橋本良亮に戻るのもイイ…と思っていた。舞台はお芝居の余韻がまだ残っている中で、カテコで役の仮面を脱ぎ捨てた姿を見られるところが好き。脳みそは毎回戸惑うけど、それが舞台の醍醐味の一つであるような気がして。一幕の天真爛漫なクリフォードは自由気ままなはしもとくんのようであるけどはしもとくんではなくて。おもしろかったなあ。一回見て、一週間くらい舞台のことを自分なりにあれこれ考えてからもう一度見に行きたい、そんな舞台でした。