19950904→20211101

11月1日が終わったら何を思うんだろうっていうのはそれが発表されてからずっと考えてきたことで、自分の中の気持ちとか思いとかそういうのがどんどん煮詰まってかたちになって、最終的にどういう言葉に落ち着くんだろうってたくさんあれこれ想像してきたけど、やっぱり何もわからないままその日になってしまった気がする。

それが発表されたときの自分の日記を読み返してたんだけど、

グループが足枷だと思われてしまう前にそこから飛び出てしまおうと思うのは、優しさであり愛情でもあると思うからもう何も言えないよね。例えばこのまま30周年40周年と続いたとして「V6って全然踊れなくなったよね」とかそんな風に言われる彼らを見たいのか、そんな風に言われる未来を彼らは受け入れるのか、とかそんな風にも思うし。

と書いていて、結局わたしの思いは今になってもこれ以外ないかもしれない。V6という箱やメンバーの繋がりをどれだけ愛していたのか、大切だと思っているのかというのをその日がくるまで嫌というほど教えてもらって、正直「そんなに大切なら」って思ってしまうことも何度もあったけど、同時にそれだけ大切だからこそきれいに終わらせたいんだなっていうのがどうしようもなく分かってしまった。
きれいに物語を閉じるのはきっと想像するだけでも大変で、それなのにそれをこんなに和やかに美しくやってしまうんだからやっぱりすごい人たちだと思う。どんだけエネルギーが必要なんだろう。だからもう、おたくのことなんて放っておいて自分たちの物語を納得いくような形で終えられるように、自分たちのことだけに注力してほしい、って後半はもうほとんどそんな風に思っていた気がする。それでもあの人たちはおたくのことを気にかけてくれて、何度も何度も「ありがとう」と言ってくれるんだよ~~~~。言葉だけじゃなくて、これほど「愛されてるな」と思うこともなかったかもしれないというくらいに気持ちもたくさんもらってしまったし。ただのファンがアイドルに「愛されてる」だなんて、とんでもないし勘違い乙ってかんじだし、言ってしまえば気恥しいことなんだけど、本当にそうやって思ったんだもん。「ありがとう」なんて言われるようなことはしていないのにね。ただ、好きで、ただ、見ていただけ。コンサートの構成とか演出が気に入らなくて帰り道に文句を言いまくったこともあるし、どんどん新しいグループが生まれていく中で「あんなのおじさんじゃん、何がいいの?」って同級生に言われて腹を立てたこともあった。だけど、そうやってしながら律儀にCDを買い、テレビを見て、コンサートや舞台があればせっせと申し込んで見に行くっていうのをしていただけ。それが積み重なってそれなりの年月になっただけ。それだけのはずだったのに、いつの間にかわたしの人生のほとんどにV6がいたんだなあって振り返って初めて気がつく不思議。

今年の夏の終わりごろからたくさん雑誌でも特集が組まれていたんだけど、SWITCHのインタビューとかすごく良くてね。メンバーがみんなV6という箱を愛していることも、どうしたらそれがより良くなるか、どうしたら自分たちがより心から愛せると同時に周りからも愛してもらえるようになるかとずっと考えていたこともわかって、今振り返っていろいろなことが「なるほどな」って腑に落ちたのと同時に、やっぱり「じゃあなんで」って思っちゃったりして。「じゃあ、まだ物語を閉じなくてもよくない?」って。だけどきっとそうじゃないんだろうなあ、それは違うんだろうなあ、って何度目か分からないくらいのわかったような顔をするしかできないままでその日になってしまった。

正直、これから先のことはよく分からない。元々、近年ではコンサートだって毎年やるグループじゃなかったし、年に数回のCDの発売とそれに伴う露出を追うくらいだったし。だから、11月2日からわたしの世界は一変するのか?というと、別にそうでもないような気もしてしまう。だけど、これからは年に数回のCDの発売もそれに伴う露出も何もないっていうことだよな~~~って7月くらいに突然思って、スーパーに行こうと歩く道中で95 grooveを聞きながらちょっと泣いた。そしたらラストライブのツアータイトルもgrooveだったからまたちょっと泣いた。

そうそう、ラストライブ、最高だったよね。ふつうにいつものツアーみたいにエッジの効いたおしゃれさと多幸感!の融合で、通常運転ですけど?みたいな顔してそのときの最高のパフォーマンスしてくれるの、本当にめちゃくちゃうれしかった。最後のツアーとしてこういうものを見せてくれるところが最高に好きだと思ったし、だけど同時にそこにやっぱり物語を美しく閉じようとする6人の美学みたいなものを感じて喉の奥がクッと鳴った。
ところでさ、アンコールの95 grooveはちょっと最高すぎじゃなかった?ランウェイみたいな花道を6人が並んでふらりと往復しているだけに見せかけて、実はちゃんと音に乗って踊ってるんだよ。その加減が本当に絶妙でおしゃれで、近年のV6をそのまま表してるみたいだと思った。なんだっけ、どこかの雑誌のインタビューで、今まではファンファーストでファンが喜ぶものをと思ってアルバムやコンサートを作ってきたけど、今回は自分たちがやりたいことをと思って自分たちファーストで作ったっていう話をしていたんだけど、そうやって自分たちで好き勝手に作ったらしいものを受け取ったわたしたち(勝手に主語をでかくしましたが)がV6らしいなって感じたってことはそれがもう全てじゃん、って思ってうれしかったんだよね。彼らが見せたかったものはわたしの見たかったものと寸分のズレもないということが。
わたしがスーパーに行く道中で95 grooveを聞いて泣いちゃったっていうのは「本日は最後の日で 君の隣踏んだステップ」のところなんだけど、コンサートでそこを歌う三宅さんの隣にいるのが森田さんで、その部分で本当に軽くステップを踏んでいて、さすがにだめだった。美しすぎるよ。そのさりげなく意味深な美しさは、今回のコンサートのたくさんある好きなところのひとつ。そうやってゆるりと力を抜いているようで計算された美しさと、やさしさと、柔らかさ、それからたぶんもっともっと他にもあるけれど、6人のそういうところがずっと好きなんだ。

わたしは20周年のコンサートのときに入るたびに自分でもびっくりするくらいに泣いていたんだけど、今回のコンサートは泣きたくないなと思っていて。20周年のときはうれし涙というか続けてくれていることへの単なる感謝だけだったから、まだ大丈夫だったんだよね。思う存分わんわん泣いた。だけど「泣く」って、感情の高まった頂上にあるシンプルな行為だとわたしは思っていて、だからこそ今回のコンサートというか今のV6に向けてそんなシンプルな行為だけでわたしのこの20ウン年を表されること癪だったんだよ。そんな簡単にまとめないでって思っていた。だから今回は泣きたくなかったし、分かりやすくそういう演出をしてこないコンサートがありがたくて、うれしくて、V6らしい気がして結局毎回泣いてしまった。


11月2日からわたしの生活はどうなるんだろうね。やっぱりまだ何も分からないな。すぐに分かりやすい変化は訪れないかもしれない。だけど、その存在はもはや好きとか嫌いとかそういう次元を超えていたような気がするから、泣いたり泣かなかったりしながら、わたしの人生の一部としてゆっくりとしっかりと埋め込まれていけばいいなと思います。
今回のツアーのラストに流れるメッセージの「笑っていてね でも無理はしないでね」っていう言葉がすごくV6らしいと思っていて、(その後「あっ マスクはしてね」って続くのがさらにV6らしい)それを読むたびに感情がグッと動いていたんだけど、本当にその通り無理はせずにできれば笑っていきたいね。死ぬわけじゃないし!まだこれからパールも届くしね!