とりあえず、

1月ももう終わるし、2月になったら歌舞伎も始まるし、このことばかりを考えて湿っぽくなってしまうのは歩き出そうとしている彼らに悪いなとわたしは思ってしまうので(もちろん考え方感じ方は人それぞれだから。わたしは、ね!)最後にしようと思って書きます。なんかこのことばっかでごめんね!ってかんじだけど。だって気が付いたらわたしの生活の大部分をすのーまんが占めてたんだもん、気持ちがしっかり落ち着くまでヤンヤ言わせて!ごめんね!

とか言いながら、気持ちなんか最初に知った木曜の朝からずっとぐっちゃぐちゃです。9人だって理解して落ち着いたかと思ったのに、いざ9人の並びを見て取り乱しちゃったり、そんな反応をしちゃう自分に嫌気が差したり、6人の記事が載った雑誌がたくさん発売されて「好きだな」と思った数秒後に6人を見て「好きだな」と思っちゃうことがダメなことのように思えたり、言っちゃえば脱退でもなく解散でもないくせにこんなにやられちゃう自分が情けなくなったりしていました。先週末くらいからはだいたいずっと自己嫌悪だったからまじで苦しかった。消えてなくなりたかったし、“たかが趣味なのに”そんな風になる自分がダセえなって思ってた。とにかく自分が嫌で嫌で仕方がなかった。受け入れたと思っていたのに取り乱してしまう自分も、すんなり受け入れられない自分も。

以下は苦しいながらも2週間くらいかけて出した今のわたしの結論です。
わたしの好きだったすのーまんは6人組だった。9人のときも8人のときも知っているけど、好きになったのは6人のときだったから。そして、そこに新たに人が加わることになった。6人は変わらずそこにいて、名前もすのーまんのまま。
人間関係というのは絶妙な配合で行われる調色や調理のようだと思っているから、加わる人がどんな人であれ、元の6人の頃とまったく同じ空気が流れることはないと思う。同じだったら加わってもらう意味もないしね。つまり、もう、6人のすのーまんは過去のものになる。ずっとずっと分からなかった「寂しさ」の正体がこれだと騒動後1週間くらい経ってようやく気が付いた。もう、6人のすのーまんには会えない。正直、すのーまんに何かが足りないというのはたくさん聞いていたし自分でもなんとなく分かっていて、でも去年の途中くらいから「すのーまん、いいじゃん」って思い始めてたんだよ。このままどんどん良くなっていく、きっと今年はもっともっと…ってウキウキしていたところだった。だから、そのウキウキをなかなか手放せなかった。本当に些細な変化かもしれないけど、ちょっとずつ上向きになってるんじゃないかと思っていたところだったから、これからだと思っていたところだったから、それがどうしても悔しくて。

だけど、これからも6人は変わらずそこにいてくれて、わたしの好きな人も変わらずそこにいる。それならきっと、9人の塊としても好きになれる可能性ももちろんある。前よりもっともっとすごくなったな!と思えるようになる可能性も十分ある。それが今の希望。
とか言いながら、この間公開されたカウコン中継前のすのーまんの映像見てビッシャビシャに号泣したけどね!!!そりゃそうだ。好きなんだもん。希望はあっても、寂しいのは寂しい。でも、今は無理矢理でも、希望があるだけいいじゃんって思いたい。そうやって思ってるうちに本当にそうなるかもしれないんだし。どんだけ寂しいと叫んだって、結局は未来に賭けるしかないから。それなら、未来が少しでも明るいものであるように願いたい。

この気持ちにまだ名前は付けられないけれど

書こうかどうか、正直めちゃくちゃ迷った。書くなら書くで、気持ちの新鮮なうちの方がいいのか、それともじっくり考えて出てきた結論を書いた方がいいのか、それも迷った。そうやって考えた上で今これを書いているけど、結局答えは出てないし、これがわたしの考えの最終的な結果なのかどうかも分からない。だからもうとりあえず書き殴り。短時間のサイクルでいろんな感情が入れ替わってるから、もしかしたらこれを書いても明日には読み返して「なんだこれ、何書いてんだわたし」って思ってるかもしれない。

今回のことがあって、自分がすのーまんの6人がこんなに好きなんだって知った。ようやく。皮肉みたいだなとも思う。6人が6人じゃなくなるまで、わたしはそれに気付かなかった。
最初はその中の一人しか好きじゃなかった。というか、好きになったら周りに5人いた、みたいなかんじだった。わたしは別に自担だけでもいいのに…と思いながらずっとファンをしていて、箱推しをしている人たちを見ては「わたしとは違うタイプの人だな」とぼんやり思うくらいだった。別に箱で推していても個人を推していても、ファンであるということには変わらないし。ただ、わたしの好きな人はその箱を大切にしているようで、自分の好きな人が大切にしているものを大切だと思えないことが悲しかった。
だけどなんだろう。去年一年でその箱でいる姿を見る機会がぐんと増えて。「ああ、箱もいいかもしれない」って思うようになっていて。みんな優しい人ばかりで、だれかを下げて笑いを取ることをしないMCが新鮮で驚いた。相変わらず彼らの作るコンサートはわたしの趣味とは合わなかったけれど、それでもいつの間にかみんなが作る空気が好きだなと思えるようになっていた。なんていうんだろう、この人たちの間に流れる空気が好きだと去年の終わりに気が付いた。

だから、今回の増員の何がこんなに悲しかったのかって、その6人で作り出される空気が変わってしまうことなんだと思う。だれかがいなくなるわけじゃないんだからいいじゃない、と言われたらそれはそうなんだけど、でも明らかに別物になってしまう。たとえいくら3人がこちらに合わせてくれたとしても(決してそんな風にしてほしいわけでもないよ!!)。だから、結局はオタクのただのわがままだということはよく分かってる。ユニットの名前も変わらないし、6人は相変わらずそこにいてくれるのだから。ただ、わたしは6人のすのーまんが大好きだっただけなんだ。

6人が6人でいることに拘っていたのは本当によく知ってる。それが例えばユニットに名前がついたばかりのことならまだしも、つい最近までそう言っていたのを知っているから、年々そう思う気持ちが強くなっていたんだろうなと思う。主観だけど、この1年ほどでだんだんとユニット内の空気も変わってきている気がしてたから尚更。だから、今後それが叶えられないことも悲しい。

もちろん3人もそのファンも「別に入りたくて入るわけじゃない」と思うかもしれない。けど、ちょっと今はそこまで考えられないから、こちら側からだけの話になってしまって本当に申し訳ないと思っています。被害者面をしたいわけじゃないんだよ。ちょっと考える余裕がないだけ。

本当のところだれがそれを決めたのかは分からない。6人がそれを望んだのか、納得して受け入れた上でのことなのかさえ分からない。今は「そうじゃない気がする」と思ってはいるけど、本当のことなんてわたしたちファンには到底分からないから。そして、彼らはそうする必要があるならば「望みました」と言う人たちだということも分かってる。これは彼らの仕事をする姿に対する信頼という名の惚気です。
だから、わたしもいつまでも嫌だ嫌だと言っているわけにはいけないということも分かってしまって、結局は何も言えなくなってしまう。だって、もう9人ということは変わらないから。もし彼らが「本当はこんなの嫌だ!!!!!」と思っていて「ファンに騒いでほしい」と思っているならいくらでも騒ぐよ。だけどどう思っているかさえ分からないし、結局は想像するしかできないから。

ただただ、わたしの好きな人たちの心に一日も早く安寧が訪れますように。本当に優しい人たちだと思うから、その優しさが逆に彼らを苦しめることがないように、それだけを祈ります。新しい姿を見たら泣いてしまうかもしれないし、それこそが彼らを苦しめることだと分かっているけど、今日のわたしはそう思います。