世界が輝き出したね 愛が溢れて

12月19日をもちまして渡邉黎哉くんの担当になります。


淳太くんから黎哉くんに降りることになったのは、たぶんタイミングの影響するところがすごく大きいんだと思います。

淳太くんが大好きで大好きで、淳太くん以外をこんなに好きになる日が来るなんて全然想像していなかったし、最後の自担だってずっと思っていました。淳太くんのネコみたいに奔放なところが大好きだし、ファンが欲しがっている言葉をきちんと口に出してくれるところが大好きで、たぶんジャニーズの全タレントの中でわたしが1番好きなダンスをするのも淳太くんです。それは今でも変わらない。だからこそ、全てが大好きだからこそ、たった一つでも苦手だなって思う要素を見つけてしまったことがショックで耐えられませんでした。たったそれくらいで、っていうような小さな小さな要素かもしれないんだけど、どうしてもそれを受け入れることができなかったし、それを受け入れられない自分も嫌だった。

そんなときに、わたしの中で大きな存在になったのが黎哉くんです。もともと、その外見とダンスの上手さから淳太くんの次に気になる人っていうポジションにいた黎哉くん。でも、絶対担当にはなれないって思っていました。わたしは、いわゆる自担の全部を好きになりたい。それには黎哉くんの知らないところが多すぎました。話しているところをほとんど見たことがなかったので、どんな性格の子なのかということすら知らないのに担当なんて100%ありえないと思っていました。そこから一歩踏み出すきっかけになったのがこの冬の松竹座です。MCやWESTコンでの大喜利に黎哉くんも出るようになって、なんとなくわかってきた黎哉くんの性格が想像以上に素敵で、自分の中で黎哉くんの位置が急上昇していくのがわかりました。それはわたしにとって正直戸惑いでしかありませんでした。でも、戸惑いながらもこれくらいでは降りないだろうな〜ともぼんやり思っていました。だって、たったひとつの要素以外は、淳太くんは大好きなところだらけだし。でも、BBVの公演を見ていて、大好きな淳太くんがステージにいて、その淳太くんのうちわを振れているのにいつの間にかその淳太くんのうちわが足枷のようになっているような気がしました。頭では冷静にありえないって思いながらも、淳太くんのうちわを持ちながら黎哉くんを見ていました。

だから区切りとして、16日の公演を最後にもう淳太くんのうちわを振るのをやめようって思った。16日に、最後だという覚悟で淳太くんを見てもう一度考えようと思った。今思い返してみると、16日がターニングポイントだったんだろうなと思います。公演後に、不思議と「はあ、やっぱり今日で終わりにしよう」って気持ちが楽になったんです。たぶん、数ヶ月前のわたしだったら泣いて喜んでるんじゃないだろうかっていうようなことを淳太くんにしてもらったのに、気持ちは淳太くんに完全には戻らなかったから。そのあと、18日19日とWESTの公演に入りました。変な話だけど、黎哉くんに降りようって決心が固まったのは、何かをしてもらえたからとか何かがすごくよかったからではないんです。その逆で、19日は特に黎哉くんにとっておいしいハプニングがあったわけでもなく、ファンサも何もしてもらえませんでした。それでもすごく満たされて幸せだった。それにすごく感動しました。

何回も繰り返すけど、わたしは淳太くんを嫌いになったわけじゃありません。今でも応援してるし、淳太くんなら、バドならきっと上へいけるって信じてる。そのときにわたしも該当担としてお祝いしたい。だから、淳太くん担を降りたくなかった。でも、その気持ちよりも、これからどんどん成長していくであろう黎哉くんと一緒に歩いていきたいという気持ちが勝ってしまった。黎哉くんに降りたらきっとこの先不安になる日が絶対に増えるってわかっていたけど、それでもいいって思ってしまった。

だから、わたしは黎哉くんに降りようと思いました。


ここからは後日談。渡邉担になってから、中間担のままだったらわたしはきっとしあわせだったろうなと思うような出来事がたくさん起きました。未来が不安になって、中間担のときでは考えられないくらいのペースで落ちてしまうようになりました。でも、降りたことを後悔したことは一秒もありません。黎哉くんのことを知れば知るほど、好きしか見つからなくて、見れば見るほど幸せになれる。好きになれてよかったです。ありがとう。大好き!これからもよろしくね。