愛せなくていいから、ここから見守ってる

強がってるんだよ、でも、繋がってたいんだよ。
あなたがまだ好きだから。


夏が終わって、れいやくんもいなくなってしまいました。

正直、いつかはきっとこの日が来ると思ってました。『人間、いつかは死ぬんだから』というような「いつか」じゃなくて、近いうちにきっと、あっさりと辞めてしまうんだろうなって思ってました。だから、れいや担に降りたいって思ったときも、降りてからもずっと苦しかった。現場が終わるたびに、次の現場にはいないんじゃないかって泣きたくなって、現場と現場の間隔があくだけで不安でたまらなくて苦しかった。だから、いなくなったときのことを考えて自分でいっぱい慰めを用意していました。あんな素敵な人に出会えて、キラキラした姿を実際に見ることができたんだからそれだけで十分幸せじゃないかって。それで強くなったつもりでいたけど、でも、実際その日がくると当たり前だけど覚悟してたのよりずっと辛いんですね。

9月21日。れいやくんの写真がなくなった、と聞きました。「ついに」というのが最初の感想です。なんだか今思うとそれが最初って悲しいですね。それから後はなにも考えられなくて、ひたすら「どうしたらいいんだろう」っていうのばかり頭をぐるぐるしていました。れいやくんがいなくて、わたしはどうしていけばいいか全然わからなくなりました。全部をれいやくんに預けてしまっていたから足元がぐらぐらになってしまいました。あとは、ひたすら「なんで?」って。きっとれいやくんのことだから、更なる大きな夢があるんだと思います。その夢のためにきっといつかいなくなる、って思っていたし。でも、なんで今このタイミングで?どうしてもジャニーズじゃその夢は叶えられなかった?って思ってしまった。わたしは渡邉黎哉という一個人が大好きだかられいやくんがどこに所属していようが関係ないってずっと思ってたはずだったんです。でも、実はそれだけじゃなくて、ジャニーズでアイドルをするれいやくんが好きだしこれからも見ていたいっていう思いも強くあったんだなあって気付きました。当たり前だけど、辞めたということは、アイドルの衣装を着て歌ったり踊ったりするところをうちわを振りながら見つめるというのがもうできないんだなって、◯◯を踊るれいやくんを見たいと夢見ても叶うことはないっていうことなんだなって思ったら目の前が真っ暗になった。

夏の松竹座でのれいやくんを見ていて、ずっとアイドルを嫌がっているようにも見えていたれいやくんが、もしかしたらアイドルって楽しいって思うようになってくれたのかもしれないって思ったんです。もしそうだとしたら、それがすごくすごく嬉しくて。雑誌でも初めてれいやくんがこれからの話をしてくれて、未来を期待せずにいられなくなっていたんです。だから、なおさら受け止められなかった。そして、受け止められない自分も嫌だった。

れいやくんがいなくなる前は、いざその時が来たらわたしは毎日泣いて過ごすんじゃないかと思っていたけれど、実際は1回しか泣いていません。たぶん、まだ逃げてしまっていて、完全には受け止められてないんだと思います。泣くのはたぶん、れいやくんがいないという事実を受け止めないとできないんだと思います。わたしはまだ、今はれいやくんの映像を自分から見ようとはできません。れいやくんのことを考える時間はあるけれど、具体的な思い出を思い出そうとすることはできません。それを思い出だと、過去のものだと認めるのがこわい。

でも、れいやくんのことを想う時間は減っても、れいやくんのことを想ったときにはすごく温かい気持ちになれて大好きでいっぱいになるんです。きっとれいやくんをすごくきれいな形で小箱にしまっていけている。今はその途中なんだと思います。れいやくんはやっぱり、わたしにとって唯一無二でかけがえのない1番です。たくさん辛いって言ったし苦しい思いもしてきているけれど、れいや担になったことを後悔したことはないんです。こんな程度のマイナスなんて軽く上回るくらいのしあわせをもらえているんです。れいや担を名乗れることがすごく誇らしくて、みんなかられいや担と呼ばれる度に嬉しくてたまらなかった。わたしは今でもれいやくんがやっぱり大好きです。大好きっていう言葉では足りないくらい大好きです。雑誌に載る喜びもうちわを振れるしあわせもたくさんたくさんありがとう。びっくりするくらい優しくて、でもまっすぐで自分には厳しくてプロフェッショナルなれいやくんが大好きでたまらない。

大好きなれいやくんの笑顔がこれからも絶えませんように。