選ぶということと選ばないということ

突然ですが、実は少し前に担降りしました。
担降り問題って、わたし個人にとってはすごく大きなことの割に他の人にとってはどうでもいいものだとは思うんですが、せっかく長い時間をかけてたどりついた結論なので、記録として書き残しておこうと思います。



わたしが野澤担になったのは、正直に言えば当時の「自担」が事務所をやめてしまったからでした。だから、当時の自分に残されていた道としては担降り or ヲタ卒という二択で。残念ながらというか何というか、ヲタ卒なんて到底できなかったので誰かしらに降りるということになり、その際に降り先として野澤くんを選ぶことについては多少悩んだりはしたけれど(これからのわたしのジャニヲタ人生の軸を野澤くんにして大丈夫だろうか、的な)「野澤くんにしよう」と決めてからはそれこそ坂道を転がるみたいにコロコロと転げ落ちていけばいいだけでした。*1でも、今回はそうじゃなくて。野澤くんは今でもアイドルをしています。以前は強制的に断ち切られていたものを、今度は自分で断ち切るかどうか決めなければいけません。だからこそダラダラと半年近く悩んでいたのですが、やっと決めました。降ります。理由としてはまあシンプルに言えば結局、他に好きな人ができたから、というアレです。ふとした瞬間に「あれ?」と気になりはじめた人が、いつの間にか野澤くんのことを考える時間をも侵食していました。


「担降りするということは誰かを選ぶということで、誰かを選ぶということは誰かを選ばないということ」というような言葉がTLに流れてきたことがありました。ずっと「誰かを選ぶ」ということ、つまり自担と呼ぶ人を変えようかということばかり考えていたわたしに、これはものすごい衝撃でした。誰かを選ばない、つまりこれからは野澤くんを選ばない道に進もうとしてるんだなって改めて考えたら、そんなのは嫌だと思ってしまいました。よく言っていたことなのですが、野澤くんを軸に据えてヲタクをすることはわたしにとっては本当に楽しいし何より安心できることでした。野澤担になる前はあんなに不安がっていたのにね。本当に楽しかったし、たくさんキュンとしたし、この人を自担と呼べるなんて幸せだって何度も思ったことがあります。だから、野澤くんについていけば間違いないという安心感がありました。それなのに、その安心を自分から手放そうとしている。野澤くんを選ばないのは嫌、でも野澤くんじゃない人も選びたい。…そんなんだから半年も悩むことになったんだと思うんですけど……。「だって別に野澤くんのことが好きじゃなくなったから降りようとしてるわけじゃないんだもん」→「っていうかむしろ今でも好きだよ?」→「でも…」→ふりだしに戻る、的な。


まあそれでも、やっぱり降りることにしました。野澤くんじゃない人のことも好きで好きで仕方がなくなって止められなくなっちゃったっていうのもあるけれど、半年近く悩みながら掛け持ちのようなことをしているうちに「この人の思い描くアイドル像をこの人自身が体現していくところをこれから見てみたい」って思うようになっていたことに気付いてしまったっていうのが大きいかもしれません。わたしは個人的に推しと担当の一番の違いについて「その人の今現在だけじゃなくて未来を見たいと思うかどうか」だと思っているのですが、その自分の気持ちの変化に気付いた時に「ああ、ついにこの人は推しの枠を出てしまったんだな」と思いました。それに気付いたから降りる決心がついたようなところがあります。抵抗するのを諦めた、的なところもあるけれど。


そんなわけで、「自担」と呼ぶ人が変わったことの新鮮さと戸惑いを感じながら今は過ごしています。まだ不安もたくさんあるし、「自担」と呼ぶ人が変わったばかりのころ独特の怖さというか心細さにビクビクとしていたりもします。なんか担降りしたばかりのころって少し怖くないですか…新しい人を「自担」と呼ぶ自分もそんな自分の生活もまだうまく想像できないから。まだ慣れていないからとも言えるけれど。だけど、それでもいろいろなことをグングン吸収していくことも、知ること知ることに対して新たな好きを発見できることもやっぱりすごく楽しいですね。だから、野澤くんを「選ばない」これからにまだまだ未練はたくさんあるし寂しいけれど、新しい人を「選んだ」これからもきっと楽しくなるといいなと期待してみようと思います。ヲタク人生2回目の“わたなべくん”の担当です。

*1:ちなみに今ならその選択は大正解だったと胸を張って言える。